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木村登先生と世界七カ国研究

当財団の設立者で初代理事長の木村登先生は日本の循環器学の開拓者の1人です。先生はまず、昭和14年にベクトルカルジオグラムをドイツのSehellongとほぼ同時に発表されています。
これは心臓の電気現象を立体的に表す心電図法ですが、この発明が九州帝国大学卒業後3年目に行われたことは、まさに天才という他はありません。この業績は戦後高く評価され、昭和26年ロックフェラー財団のフェローとしてアメリカに招聘されました。
この中で、先生はベクトル心電図を紹介すると共に、アメリカの学者と交流を深められ、次々と独創的な研究を始められました。
その中の1つは心臓リハビリテーションで、昭和31年九州帝国大学で開催された日本内科学講演会において、狭心症に関するシンポジウム Ⅲ.治療の中で積極的運動療法を提唱されました。当時は急性心筋梗塞では、少なくとも1~3ヶ月間の安静臥床が必要とされていた時代で、まさにコペルニクス的転回の発想です。これが最初の心臓リハビリであり、また早期離床、早期退院の現代医療の始まりといえ、先生の先見の明の鋭さにはいつも感服させられています。
さらにアメリカ滞在中のWhite教授、Keys教授らとの交流の中で欧米と日本の冠動脈病変に大きな違いがあることが明らかになり、世界7カ国共同研究へ発展しました。この研究はミネソタ大学のKeys教授を主任とし、日本、米国、フィンランド、オランダ、イタリア、ユーゴスラビア、ギリシャの7カ国共同研究で、食事の違いによる血清コレステロール値の差が心筋梗塞の発生に密接に関係していることを明らかにした研究として世界的に有名です。
当財団の設立者 木村 登先生
世界7ヶ国共同研究の中心地・ミネソタ大学スタジアム7番ゲートにあるPhisiological Hygiene研究室
木村登先生は、日本の主任研究者として昭和33年から福岡県田主丸町(現久留米市田主丸町)と熊本県牛深市(現天草市牛深町)で疫学研究を始められました。この様な人間において直接病気の原因を明らかにするために不可欠であり、しかも地道で長い年月を必要とする疫学研究を財政的に支えるために、当財団は先生の退職金を基に昭和52年に設立されました。
その結果、田主丸研究は現在まで50年以上継続され、数多くの循環器病の原因を明らかにしてきました。 木村登先生は、昭和33年久留米大学医学部教授に就任され、新しく第3内科を開設され研究を、そして数々の革新的な研究を行い、日本の循環器病学の確立に大きく貢献されました。 また日本学術会議会員、佐賀医科大学副学長、久留米大学学長を歴任され、日本の循環器病学を開拓された巨峰の1人でした。

木村登先生略歴

明治44年(1911)

宮城県に生まれる

昭和11年(1936)

九州帝国大学医学部卒業

昭和14年(1939)

ベクトルカルジオグラムを発表

昭和20年(1945)

九州帝国大学助教授

昭和26年(1951)

ロックフェラー財団フェローとしてアメリカ招聘

昭和31年(1956)

心筋梗塞のリハビリテーションの提唱

昭和33年(1953)

久留米大学医学部教授、世界七カ国共同研究開始

昭和43年(1968)

第32回日本循環器学会会長

昭和44年(1969) 

日本学術会議第8期会員

昭和47年(1972)

久留米大学医学部長

昭和51年(1976)

佐賀医科大学副学長、日本医師会医学賞、第75回日本内科学会頭

昭和55年(1980)

久留米大学学長

昭和58年(1983)

逝去(72歳)